multipleminorityidentities’s blog

気づけばアラフォーになっていたギフテッドなゲイの日常

他人との差異を意識しないで育つということ

昨今ずっと話題になっている異性愛者、男性、健常者、定型発達者のような、強者やマジョリティに分類される人々の思考回路について。なぜ彼らが他者への想像力を欠いていたり気が利かなかったりするかって問題だけど、結局のところ他者との境界線をはっきり知らないままなあなあで育ってきたんじゃないかと。強者やマジョリティであることが認知という面においては裏目に出てるんじゃないだろうか。*1だって赤ちゃんの時から「あなたは私とは違います」と言われて立ち止まる機会が限られてる訳だし。社会通念に反しない限り、意識する間もなく自分の思考や基準がほぼ無条件に承認されているような状態で、他者というものを通じて自分へのフィードバックが来ることがあんまりないんじゃないかと。*2他者を意識したことがないってことは自分のことも無意識なんだろうし。気づきが与えられることが少ないから考えたこともないってことなんだろうと思う。おまけに同類と出会う機会は多いからその感覚がより強固になる。そのまま何年も何十年も生きてきて、異質な他者が突然視界に入って、自分基準で(自分基準だってことも意識できずに)慌てふためいてるんじゃないかと思ったり。*3自分が何やってるか分からない夢遊病患者みたいな怖さがある。ま、自分が全てにおいて弱者やマイノリティって人はなかなかいないだろうけど。

*1:ここでしているのは、他者との境界を知ることは能力的に可能だけどその機会が不十分だった場合の話。他者をそもそも認識できないタイプとは別だと思ってるけど、想像力を欠くって意味では両者は同一線上にいるかもしれない。

*2:我々は一人一人違う訳だけど、先入観なのか細かい違いには目を瞑ってるところがあるし。あるいは気づいても情報を統合して考えることができない。

*3:つまり、彼らが他者との境界を知ることは可能だけど扱える情報量には限界があるので、器用に対応し続けることはできない。