multipleminorityidentities’s blog

気づけばアラフォーになっていたギフテッドなゲイの日常

コミュニケーション力が高いと壁ができる

複数の言語を操れると、それぞれの言語を媒介としてそれぞれ特色のある情報が自分に届くわけだけど、日本みたいに日本語しか分からない人が多い所では、自分がもっている情報のうち、他人と共有できるものが相対的に少なくなる。例えばルーツも育ちも日本の友人・知人がいて、その人たちに特定の言語圏でしかやっていないテレビ番組の話をしても理解できなかったり反応が薄かったり。語学力があるとよりたくさんの人と円滑にコミュミケーションが取れそうなものだけど、意外と情報の流れが自分のところで止まりやすくて、「この情報はこの人たちと、あの情報はあの人とだけ」、というふうに分断が起こりやすい。

「複数の言語」を「複数の視点」と置き換えると、複数の言語を使えなくとも高IQの人ならありがちなシチュエーション。1つの物事しか見えない・知らない人たちの中で「どうせこれを言っても見えてないから伝わらないだろうな」と思って伝えるのを諦めて、黙ってニコニコしていたり。高IQ(発達障害はまた別)の生きづらさって自分たちのスペックよりも、他者とのギャップが絡んでいることの方が多い。スペックそのものに起因する悩みは大体「何かに気づいてしまう」系で、一般人が気づかないコミュニケーションの不成立に「気づいてしまう」こととか、相手が良かれと思ってやった愚かな行動の迷惑さに「気づいてしまう」こととか。