多様性を受け入れましょうと言うようになって、どれくらいの人がその理屈や意義を理解してるのだろう。個人も企業も行政も意味分からないで言ってるんじゃないの?って思うことも結構ある。
人間っていうのは慣れているものを認識しにくい。「それ重要?」っていう無意味な制限を無自覚にかけて、それを当然視している。よく考えれば「そんなわけないだろ」ってなることをよく考えられないし、バカな人たちに子供の頃から吹き込まれてきたことを疑うことができない。でもその無意味な制限をやめれば物事がもっと楽チンになるんじゃないの?っていうのが多様性の推進な訳で。*1
無駄な苦労や手間を省くためにやっているんだから、複雑なものが単純になる訳だけど、反発している頭の悪い人は複雑なものを単純にした結果生じる表面的な多様性のところしか見ていない。だから逆に、単純だったものが複雑になると思うらしい。そこしか見えてないから、「配慮させられるのが怖い」とか「トップ校の平均学力が下がる」とか言い出す。*2単純なものを複雑にする発想で見ているので現状に何かを付け足すことで対処しようとする。必要なのは付け足すことじゃなくて、いらないものを捨てて自由になることなのに。
多様性を推進する目的はできるだけ楽していい結果を得ることなんだから、手段である多様性が目的になるのはおかしい。形だけやってドヤァしてるのを見かけるけど、何が大事で何が瑣末か判断できるスキルがあればそれがおかしいのは簡単に分かることだし、それができてる組織は自然に多様になるだろう。