multipleminorityidentities’s blog

気づけばアラフォーになっていたギフテッドなゲイの日常

ズレてる

ブログやSNSを見て思うこと。遠慮しなくていいところで遠慮する人多すぎ。

「〜〜の権利を認めるかどうか」っていうのとか。人間なら誰にでもあるような権利が、なぜか「ない」ことを前提として話が進んでいる。人間なら誰にでもある権利なら既に今あるはず。問題は「権利がない」ことじゃなくて、「既にあるはずの権利が守られていない」ってこと。

他には、明らかにそこに問題があるにもかかわらず隠蔽して波風が立たないようにしたり、見てくれを繕ったりとか。*1典型的な日本人ってネットでもリアルでも、すぐ綺麗事にしてその場を表面的に丸く収めようとするんだけど、現実を直視するのがそんなに怖いの?自分が蹂躙されているのに綺麗事で片付けようとするとか、狂気しか感じられない。公にならないところでは文句も言ってるのかもしれないけど。

そこに明らかな問題があるかぎり隠そうとしても見て見ぬ振りしても無駄だし、自分に関係あることなんだったらもっと当事者意識を持った方がいいと思う。波風立てずに解決に向かう方法なんていくらでもある。常にとは言わないが。

親切にされてもないのにすぐ「感謝しよう」とか言っちゃう癖がある人もいて、誰に対して遠慮してるの?って思う。自分の家にいるのに「お邪魔します」って言ってるみたいな。

完全パブリックなシチュエーションで「フォロー外から失礼します」って言っちゃう人とか、どうぞご勝手にっていうシチュエーションで「引用させていただいてもよろしいでしょうか」って言っちゃう人もなんかズレてる。*2

逆に、遠慮すべきところで遠慮がなさすぎな人も多いと思う。プライベートなことを根掘り葉掘り聞いたりとか。あとは今までも言われてることだけど、権利が守られていない人の、権利が守られていない原因を作っておいて、自分たちはそれを忘れて「私のです。返してください」って言われると「ポリコレ棒」とか言って怒ったりとか。何かのプロで、それで食べている人に「タダでやって」とか。自分が精神的に自立すべきなのに、子供を「老後の介護マシーン」扱いしたりとか。女性だけを炊飯器扱いしたりとか。

*1:繕うポイントがおかしいとかもよくある。

*2:権利問題が発生するかもしれないときは権利を持っている人との同意が必要だけど、引用は権利者の利益を奪うわけではないので勝手にやっていい。「お父さんとお母さんが『今日はカレー』って言ってたよ」みたいなのだって引用だし。