multipleminorityidentities’s blog

気づけばアラフォーになっていたギフテッドなゲイの日常

SNSで共感してくる人

SNSで自分の投稿に対して共感めいた感情ベースのレスをして絡んでくる人が鬱陶しい。でも同じ共感でも鬱陶しいと思う人とそうじゃない人がいるので違いを考えてみた。

自分が鬱陶しいと思うのって、単なる共感じゃないのな。「共感」をだしに「同調」を求めてくるのがウザい。共感コメントと見せかけて実はこっちからの承認レスポンスを期待してるやつ。で、それに対して同調せずに「いいえ私はこう思うんです」と言うと、「●●さんに嫌われた」とか「性格悪い」とか言い出す。

だいたい、人の感情って個々人の独自ルールな訳で、本人以外からしたら「人格飛び越えて持って来られても知らんがな」なんだけど、我々は人間という共通テンプレで成り立ってるから、個人間で刺激への反応がある程度一致してしまう。それで、独自ルールなのに共有できるだとか普遍的だとか勘違いしちゃうんじゃね?そもそもお気持ち先行のコミュニケーションをする人ってのは、大体そういうこと整理せずに混沌としたアプローチをする訳で。*1

*1:個体識別できてなくて幼児的万能感が残ってるのかもだけども。

特大ブーメランは動物園に

元の投稿いつまで見れるかわかんないけど、入管で職員に囲まれながら声を荒げる上半身裸の外国人男性の動画。コメントしてる人の見渡す限りほとんどはこれだけを見て入管バンザイアリガトーしてる訳だけど、なんでこの状況になってるか見た訳でもないのによく単純にこの人が悪いと決めつけてコメントできるねってオモ。*1

とりま、この人のこと蔑んで動物扱いしてるコメント多くて引く。お前らは人のこと言えんのかよって感じ。「魔女」に罵声を浴びせる何処の馬の骨とも知れない群衆そのまんまじゃん。ちょっと頭いい人から見たら全員動物園だからね。切り取られた物事がそのまま単体で存在してると思ってるとかほんと呪われてるしキンモー☆

*1:少なくとも自分はこの人が何を言ってるか、日本語っぽいけど聞き取れない。てか、暴れてるって書いてあるけどこれは暴れてるって言うのか?ま、そりゃ外国人だって人間なんだからヤバい奴だっているけども。

寧ろ今までなんでなかったの

これを読んだ。

愛知県がファミリーシップ制度導入 都道府県で初 - 産経ニュース

これまでのパートナーシップ制度は利用することがアウティングになりかねないってのが課題だし、少なくともそれよりはいいとオモ。とりま試行錯誤したのかなーって感想。アウティングって差別される側からすると想像以上にダメージでかい訳で。同性パートナーシップ制度の利用によってアウティングが成立しないほどノーマライズされた社会だったらそもそもその制度必要?て感じだし。

邪魔しないで

とある同僚(普通IQ)にしんどくなってきている。入社したはいいものの仕事についていけなくてメンタル病んで休職したことがある人。直接何か攻撃されたって訳じゃないんだけど、親切な愛されキャラ設定で仕事の腕をカバーすることにしたのか、それとも服用薬で興奮状態なのか、最近職場の業務用SNSに書き込む書き込む。リアクションして絡む絡む。

でも元のスペックがここの職場向きじゃないってのもあって、書き込み内容が周回遅れっつーかズレてて反応に困る。親切目的の投稿も周回遅れで誰得状態。なんつーか、ズレてることを自分で分かってないっぽいし、情報価値が低いのに投稿回数多くて目につくし、人の投稿に絡むもんだから読むのがウザくなってきてしんどい。他の同僚もこの人の書き込みを積極的に拾ってはいない様子で、別の意味で心配になってくる。

霊感商法

これを読んだ。

神政連がLGBTQを「精神疾患」と条例反対呼びかけ | 宗教を問う | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

純粋な異性愛は人類のデフォルトじゃないと言われて始めて何年も経つ訳だけど。そもそも人間の性的指向性ってのは異性愛とか同性愛とかそんな単純なものでもないんじゃねって思うけど。*1

ちょっと新しい状況に放り込まれたら発狂する発達障害っぽい人や自閉症っぽい人ってのが世の中には思いのほか多くて力を持ってるのかも。それから、人類を助けてくれるはずの文明のせいで、ほっとくと何をやらかすか分からない、思考の面で常にサポートを必要とする人ってのが増えて文明が維持できなくなりつつあるの、「どれだけ呪われてんの人類」ってオモ。

*1:例えば「男とヤるのが好きだけど男の体を見ると気持ち悪い」とか。

葛藤の少ない人生

年度の変わり目で、卒業や入学や新生活の話題を聞くことが増えた。先日、飲食店で大学院ライフの思い出をご両親に楽しそうに話しまくる女子の話が聞こえてきた。裕福そうな家庭で素直に育ってそこそこ頭も良いっぽかったんだけど、知識レベルの割に幼いような気がしてそのギャップに違和感があった。自分がオッサンになったのかもしれんけど。

偏見だけど、恵まれた環境で素直にほわっと育つ人ってなんか独特のブロイラーっぽさっつーか、思考にメルヘンなポジティブさがあると思う。良くも悪くも半分無意識に育っていくからなのか、葛藤や苦しみを抱えて鍛えられて思考や才能の面で突き抜けるって訳でもなく、環境に恵まれて引き出しはもってるけど「そこそこ」止まりの人が多い印象がある。実家が太くて困らないから「そこそこ」でもいいのか。

葛藤や苦しみばかりでは心が折れそうになるし、そうやって鍛えられざるを得なかった人間はなんだかんだ穏やかで幸せな人生に憧れたりもする。なんだけど、それは生きやすい反面、与えられたものを当たり前だと思いながら、言われたことだけ考えてなんとなく暮らすってことでもあるんじゃないかって思った。

人生のスパイス的な何か

曖昧な関係の友人との関係のその後。お互いを知りきれないまま多忙ですれ違いと誤解が生じてヤキモキしてる状態。*1てかあいつ音信不通多すぎじゃねだいちゅき。

なんつーか、ある程度自分でなんでもできて自己完結してる人同士の関係って、何か環境要因がないと進展しづらいんじゃないかって気がする。元々お互いがいなくてもなんだかんだ生きてはいけるし、頼り合うことや共同作業することが少ないからそういう面においてはコミュニケーションも少なくなってしまう。職場も違えば趣味も違って交流の時間もとれないときたら、信頼関係をキープし続けたり、より強固にしたりってのが普通より大変になる。だから問題解決力があっても誤解やすれ違いに双方が気付いてないと、そのまま縁が切れたりってこともある。*2

*1:あっちがヤキモキしてるかは知らんだいちゅき。

*2:その代わり、普通の人と違っていったん気付くとすごいスピードで解決に向かう訳だけど。