multipleminorityidentities’s blog

気づけばアラフォーになっていたギフテッドなゲイの日常

番号はディストピアらしい

これを読んだ。

哲学者の千葉雅也氏、サイゼリヤのメニューが番号で管理されていることに対して、その非人間性(?)を問題視するツイートをするも、表現があいまいで主張の詳細が不明のため、ツッコミや「それの何が悪いんですか?」といったレスポンスを多数受ける - Togetter 

で、これに反応していろいろ言ってる人がいるけどこの人たちが何を嫌がってんのか分からない。てか大学の先生までこんなこと言うんだ。

伊藤弘了『教養としての映画』 on Twitter: "「食べ物で遊ぶこと」や「食べ物を粗末に扱うこと」に対する抵抗感は現代の日本社会でもそれなりに広く共有されている倫理観だと思うけれど、僕の捉え方だと「料理を番号で注文すること」はそれに類する。番号化が受け入れられつつあるのだとすれば、それは食をめぐる倫理観の変化(麻痺)を意味する。" / Twitter

大野左紀子 on Twitter: "外食の番号化を「人に優しい」という視点で捉える人が結構いて驚いた。自分のような旧世代からすると、ここで言われている「倫理観の変化」ももちろん、生に関することの効率化、機械化でグレーゾーンがなくなり資本の支配がより一層あからさまになってディストピア感が増しましたね‥‥感が強い。" / Twitter

反論してる人もいたけどこれもモヤる。

俺はあのオヤジのやってるA定食が好きだった。...その定食屋は、日替わり定食が、A定食、B定食、C定食と呼ばれていた。...あの定食屋が小綺麗な店に変わって、唐揚げ定食と、ハンバーグ定食と、刺身定食に変わったら、きっと悲しい気持ちになるだろう。

まず、モノ(料理)があって、品目として認識されて、名前で言語化されると思うんだけど、注文の時の番号ってのは大体、正式な名前ありきのエイリアスで、つけないと注文の時冗長で大変だからつけてるんでしょ。人間は正式な名前がないとこの番号だってなかなか使いこなせない訳で、料理を番号で呼んでるってんじゃないんじゃね?*1じゃあ何が失われてるの?

てか、もっと言うと、人間にとって意味を持つ正式な名前だって番号や記号な訳だし。なんなら言葉ってもの自体がそうだし。*2結局のところ自分が理解できるか、感情移入できるかってことでしかないんじゃないかってオモ。*3*4*5自分のことをイミフ呪文の番号で呼ばれて人格否定されてると感じるってんならまだ分かるけど*6、なんで食べ物でこんな風に思う人がいるんだろ。誰かが何かをイミフ呪文の番号で呼ぶのはその人にとってその程度の価値しかないからだと思ってて(認知の歪み?)、そんな番号でしか呼ぶ価値のない「エサ」を食わされるのが屈辱ってこと?*7それか、まさか自分とそれ以外の区別がつかなくて、食べ物に番号がついてるのを見て自分がイミフ番号で呼ばれてると思って気分を害してるってオチ?*8

*1:A定食、B定食、C定食ってのは内訳自体はあって、それが不定だから品目に直接記号を紐づけて正式な名前にしたんじゃないかってオモ。もっと賢い人はもっとスマートに理解できるかもだけど。

*2:てか、「あなた」とか「この人」とか「Aさん」とか「私」とかどうすんの?いちいち発狂すんの?

*3:外国語や耳慣れない言葉がイミフ呪文に聞こえるのと似てるんじゃね?

*4:囚人番号とかは状況が状況だから感情移入しないためじゃないかと。

*5:我々にとって自然な言葉はまず物事と結び付けられた番号や記号で、そこからさらに個体識別に使われるってステップを踏んでる訳だから、そのステップを踏まなかったり、嫌な概念と紐づけられたらいい気はしないってのはある。

*6:ま、それも突き詰めると「私が認めてる呪文で召喚してください」って言ってる感じではあるんだけども攻撃として使われるあだ名みたいなのもあるし。

*7:大勢の中の1人としてじゃなく特別扱いされないと無理な人?少数の客が入ればコストを回収できて客のために時間をフルに使ってくれる高級料亭でも行かないと無理じゃん?

*8:ま、いずれにしても他者への想像力はあんま働いてないような。